日々生きて生活をしていると様々なことを感じる。私自身も今年は当社を創業して満三十周年に当る。
何度も言っている様に私は学校を卒業すると、川崎重工の岐阜工場、航空機事業部機体設計課へ配属された。
私は小さい頃より飛行機が好きだったのだ。
小学生時代は模型飛行機作りに明け暮れた。
川崎重工へ入ってみると、その頃も日本は殆どの飛行機はアメリカからのライセンス導入で自前での飛行機開発、製造はわずかしかなかった。
そのわずかな機種がYS−11とか航空自衛隊で使っているC−1輸送機だ。
私が入社した時には既にYS−11の最後の機体の組み立て中で、入社体験実習で工場内でそのYS−11の機体に自分でリベットを打った事を覚えている。
私がリベットを打った機体は今頃どうなっているだろうか。
その後、航空機事業部で私が担当したのはファントム戦闘機のライセンス導入だった。
これは結構面白かった。
しかし、段々と本格生産に近づいてくると殆ど図面の仕事が無くなって来た。
当初、航空機事業部に入社希望したのは私は設計がしたかったのだ。
そして丁度その頃、航空機事業部が景気が悪くなり、坂出の造船事業部がフル生産状態で地元が坂出と言う事もあり、転勤で坂出造船事業部の機装設計課へ配属された。
ここでは設計が出来た。
しかし、飛行機の設計と船の設計は全然違った。
最初はこの仕事も面白かったが、3年間やっているうちにこれは本当に自分がやりたい仕事では無いことが判り、6年間お世話になった川崎重工を退社した。
そして準備をして自分で機械設計の仕事を始めたのが30年前の10月24日だった。
仕事を始めてからの沢山の失敗談は明日話そう。