2006年05月05日

讃匠、麺工場にて

75661377.jpg今日は私が讃匠へ麺のミキシングの確認の日だ。

讃匠は明日が通常勤務だから、今日はミキシング担当者が出勤している。

一緒に新しいブレンドのテストをやってみた。

私が考えていた加水量よりも少なかったので、多くしてテストをしてみた。

讃匠のメインの商品は半生の讃岐うどんだ。

まず、生うどんを作り、それを乾燥して半生うどんにしている。

そして半生うどんではあるが、生うどんに負けない品質の半生うどんに挑戦している。

一番難易度が高いところを狙っているのだ。

讃匠の国産小麦の半生うどんは一切の澱粉を使わずに、生うどんと同じようなしなやかさを出す為に様々な工夫をしている。

更に添加剤とか、防腐剤を一切使用しないで。

私もこのビジネスを始めて、既に、20年余りになるが、品質に関する難易度はますます高くなってきている。

工場内で一緒に作業を行うといろんな問題点が見えて来た。

今日はたまたまこうして工場内で一緒に作業をしているが、今後とも経営チームのメンバーは常にこうして現場を知ることの大切さがよく判った。

私も昔はよく工場で作業をしていたが、今はほとんどやっていない。

すると、最近の工場内での状況が判っていない。

しかし、経営トップは常に意思決定をしなければいけないので、以前に体験した古いままの情報で意思決定してしまっている可能性が高い。

このゴールデンウイーク中は様々な気づきがあった。

まだまだ気づきがありそうだ。
  
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讃匠、麺工場にて

514b146b.jpg今日は私が讃匠へ麺のミキシングの確認の日だ。

讃匠は明日が通常勤務だから、今日はミキシング担当者が出勤している。

一緒に新しいブレンドのテストをやってみた。

私が考えていた加水量よりも少なかったので、多くしてテストをしてみた。

讃匠のメインの商品は半生の讃岐うどんだ。

まず、生うどんを作り、それを乾燥して半生うどんにしている。

そして半生うどんではあるが、生うどんに負けない品質の半生うどんに挑戦している。

一番難易度が高いところを狙っているのだ。

讃匠の国産小麦の半生うどんは一切の澱粉を使わずに、生うどんと同じようなしなやかさを出す為に様々な工夫をしている。

更に添加剤とか、防腐剤を一切使用しないで。

私もこのビジネスを始めて、既に、20年余りになるが、品質に関する難易度はますます高くなってきている。

工場内で一緒に作業を行うといろんな問題点が見えて来た。

今日はたまたまこうして工場内で一緒に作業をしているが、今後とも経営チームのメンバーは常にこうして現場を知ることの大切さがよく判った。

私も昔はよく工場で作業をしていたが、今はほとんどやっていない。

すると、最近の工場内での状況が判っていない。

しかし、経営トップは常に意思決定をしなければいけないので、以前に体験した古いままの情報で意思決定してしまっている可能性が高い。

このゴールデンウイーク中は様々な気づきがあった。

まだまだ気づきがありそうだ。
  
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2006年03月22日

大和の慰労会

5715f1ec.jpg今日も一日、営業本部だ。

午前中は社内面接、午後からは会計事務所の先生が来られた。

大和、讃匠の期末で決算処理の方向性の話だった。

毎期、期末になるとこうして会計事務所の先生との打合せだ。

当社を担当していただいている会計事務所の先生は、非常に厳格な正義感あふれる先生で、常々、正確な会計処理の指導しかしない先生だ。

従って、安心して任せておける先生だ。

その後、今日は大和の慰労会が6時半からだった。

6時半に宴会場のホテルへ集合して始める予定であったが、いつもの様に全員集合が遅れて7時からの慰労会になった。

通常、当社は4月の花見の時期に慰労会を行っているが、今年は3月の末に行った。

この様に当社は年間何回か、慰労会を行っている。

そして今回は期末であったので、慰労金も配った。

慰労金を配ることを事前に話していなかったので、貰える事が驚きであったようだ。

少しづつの小遣い程度であるが、思わぬお金が入ると、誰でも嬉しいものだ。

いつもの様に新入社員の紹介等もあり、にぎやかな楽しい時間であった。

料理が上品な料理であったので、仙台営業所の丹野君等は料理だけではお腹が膨れずに、どうもコンビニに走り回った様だ。

いずれにしても、楽しいひと時であった。
  
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2005年12月21日

社内勉強会 製麺実習

40f3cee7.jpg朝一番の飛行機で羽田を発って高松空港へ到着した。

羽田空港で出発の飛行機が混雑していて高松空港へはかなり延着した。

高松空港へ降り立ってみると、みぞれ混じりで東京よりはるかに寒かった。

今年の冬は本当に寒くなりそうだ。

会社へ着くと、遠方からのお客様、更に会計事務所の先生が来られた。

1時過ぎからは営業管理の女性たちの勉強会だ。

純粋の手打ちうどんと当社の製麺機で作ったうどんの比較だ。

まず、製麺理論の講義の後、手練と当社のミキサーの練りの状態を比較した。

ボウルの中へ小麦粉を入れ、徐々に塩水を入れて練っていくと、小さい粒粒の粒子が出来上がって来る。

練りの作業は小麦粉の粒子に水の粒子を均等に行き渡らせることだ。

要するに小麦粉と水の粒子をまんべんなく、早く、均等に混合することだ。

その時に大切なことは麺生地に大きなストレスを与えないことだ。

もともとうどんは手打ちであった。

手で練ると麺生地に加わる力は知れているが、ミキサーで大きな力が加わり易い。

従って、長時間練るとグルテンの組織を破壊してしまうのだ。

当社の機械の特徴は手打ち同様に麺生地に無理な力を加えないので、麺生地の組織を破壊しないのが大きな特徴だ。

当社の場合の5分間で練った状態と手で練った状態が全く同じような練り状態に仕上がった。

その後、熟成してプレス作業、ロール作業、カッター作業と進めていったが、皆、手打ちと全然変わらないことに十分納得したようだ。
  
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2005年11月26日

新人教育

17ec3c31.jpg昨日までの韓国のお客様方は本日早朝に大阪へ移動した。

今日も朝から讃匠へ行ったり、うどん店へ行ったりした。

昼からは新入社員の勉強会だ。

今までは私はこの様に新入社員の教育だけの為に、特別に時間を取ることが無かったが、教育の大切さを認識した今はこの様な時間は大変重要だと思っている。

毎日、ニュースで報道されているマンションの強度計算偽造が貴重な教育材料になった。

連日の様に欠陥マンションで報道されている、急成長していたマンションメーカーH社は広くて安くて安全が売り物だった。

ところが実際は、柱とか梁は細く、鉄筋は少なく安全なマンションでは無かった。

部屋を広く、室内高を高くしようとすると、当然、梁はより太くしないと強度が足りなくなってくる。

従って、魔法でもかけない限り、広くて安くて安全なマンションは土台無理な話だ。

製麺機も同様だ。

安くしようとするとどこかに無理が来る。

当社の製麺機は安全面と使い易さ、美味しい麺作りには一切妥協をしていない。

当社は機械の価格が多少高くなってもお客様の安全には代えられないと思っている。

今後ともこの姿勢はずっと貫く予定だ。

当社のこの姿勢は新入生の人達もハッキリ理解した様だ。

夜はうどん店で新しいメニューの撮影を研修生の人達と一緒に行った。
  
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2005年11月24日

韓国からのご来客

32b6147b.jpg今日は久し振りにソウル営業所から金さんが来た。 勿論、韓国のお客様をご案内している。 今回のお客様は日本のうどん店の見学だが、日本語が話せないので、金さんが通訳を兼ねて来たのだ。 営業本部では日本語、英語、中国語まではスタッフが居るので可能だが、韓国語だけは金さんに来て貰わないとどうしょうもない。 今日は午前中から企画の三井君が讃匠の工場とか、亀城庵のうどん店をご案内し、その後、営業本部で私と打合せをした。 日本のうどん店に大変興味を持っており、色んな画像をお見せしたら、興味深く見入っていた。 一度にたくさんの情報を提供したので、かなり疲れたらしく一旦、ホテルへ引き揚げて貰った。 夕食の時間まで丁度3時間位空いたので、その間で私は讃匠の用事を済ませ、うどん店に昨日同様、かき揚げのチェックに行った。 今日は昨日とは別のスタッフにかき揚げを揚げて貰ったが、昨日同様に大変同様に出来上がった。 多分、これで今後、安定して提供できる商品が出来ただろう。 そして出来上がったかき揚げを持って、夕食のレストランへ行き、そこで持って行ったかき揚げをお客様方に試食して貰った。 お客様方もきれいさと美味しさに驚いていた。 それからお客様、金さん、他のスタッフを含めて楽しい食事が10時過ぎまで続いた。  
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2005年11月15日

讃匠はもうすぐお歳暮シーズンに突入!

ffad864e.jpg今日は営業本部での2日目だ。

しかし、明日からは次の出張が待っている。

本日も朝から急な来客とか、次々と予定以外の打ち合わせが入ったりした。

昼からは讃匠の会議だ。

讃匠は近々始まるお歳暮シーズン前の直前で、嵐の前の静けさと言ったところだ。

しかし、忙しさは既に始まっている。

久し振りに工場へ入ると、工場の中も活気があふれていて、大和製の時間当たり3000食の自動化ラインはロボットのように整然と麺生地を圧延し、それを仕分けしてカッターでうどんの太さに切断して竿掛けしている。

規則正しく切り出されて来る麺線はまさに芸術作品のようだ。

讃匠ではこの冬、プレスの鍛え工程を改善した。

今までは自動プレスで3回プレスをしていたのを5回に変更した。

こうすることによって釜揚げとか、かけうどんの様な熱い状態で食べる場合にこしの強さがうんと強くなったのだ。

私も常に麺質の改善改良に力を入れている。

このプレスの改良も美味しい麺作りをしたいと思っていて思いついた。

実際にテストをしてみると、品質がはるかに良くなったのだ。

当社はもともと製麺機の製造販売から出発した会社だから、麺の美味しさではどこにも負けられない。

麺の品質向上には真剣なのだ。
  
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2005年11月02日

東京から坂出へ

202454a3.jpg東京発9時55分の飛行機で高松へ着くと、さすがに高松は暖かかった。

長野とは全然温度が違った。

到着後すぐに営業本部へ着くと、月末の打合せが山積していた。

何時間もの打合せを終え、しばらくして亀城庵へ行った。

亀城庵では辛君達が新しいメニューに挑戦していた。

私も一緒になって今回の出張でテストしてきた様々なメニューを一緒にテストした。

料理は美味しいだけではなく、いかに美味しそうに見せるかが大切だ。

盛り付けのきれいさが大切なので、材料まで溯ってみた。

特に色彩の鮮やかさが大切だ。

亀城庵は今月、開業5周年を迎えるので、お客様を驚かせるようなメニューを取り入れていこうと考えている。

しかし、パートさん達で簡単に出来るようなメニューでないといけない。

パートさん達もいろいろと工夫をしてくれている。

亀城庵のパートさん達は大変熱心だ。

今日も隣のスーパーで色んな野菜を買い込んでテストをした。

そして面白いメニューが幾つも出来上がった。

まず、他店では見られないようなメニューだ。
  
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2005年10月28日

テレビ取材

6484be1f.jpg今日一日だけ、営業本部で居るが、明日からはまた出張だ。

今日は朝8時から面接、大和での会議、11時からは地元のテレビ局の取材だ。

私は以前、NHKのテレビとか、ズームイン朝等に出演したことがあるが、最近はあまりテレビ出演は無かった。

久しぶりのテレビ出演で、昔よりはだいぶ厚かましくなったのか、テレビカメラの前でも全然上がらなくなったのが、不思議だった。

5分間の放映なのに、撮影には合計2時間も要した。

撮影の中で、私は当社が30年前に創業してからの経緯を説明した。

撮影チームはアナウンサーを含め、全員で7,8名も来たのには驚いた。

その後、午後からは讃匠の会議が始まり、会議の間に大阪展示会で購入した沢山のサンプルの試食をメンバー全員で行った。

サンプルの数が沢山あったので、かなり時間がかかった。

夕方には会計事務所の先生と久しぶりの面談だ。

私のブレインの一人で新しい情報と次々と提供してくれる。

今日も大変勉強になった。

今日の最後のイベントは夜7時から亀城庵のスタッフとのミーテイングだ。

今日は研修センターでパートの女性たちがそれぞれのアイデアで作った夜の一品の品評会だ。

研修センターで試作し、それをお互いに試食して採点した。

良く出来た10点を選んで、再度店内での試作を実施して、早速実行していくことにした。
  
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2005年09月30日

讃匠の冬支度

23185c0c.jpg今週はずっと営業本部で居る。

この様な1週間は私にとって非常に珍しい。

今日は午前中が大和での社内会議、午後が讃匠の会議だ。

10時からはお客様を交えての社内会議だった。

この様に社内だけではなく、社外の人たちを迎えての会議は社内の人たちにとっても大きな刺激になるはずだ。

私も常に心がけているのは私のブレインの声だ。

会社の社長は往々にして耳障りの良い話ばかりが聞こえて来る。

悪い話はなかなか聞こえて来ない。

近くの人たちはどうしても悪い話は言いたがらない。

しかし、一番重要なのは耳障りの良い情報ではなく、悪い情報だ。

だから、私は私の気づかない私の欠点、問題点を出来るだけブレインの方々に教えて貰っている。

今後もこれは重要だと思っている。

午後から讃匠へ行った。

讃匠ではこの冬の繁忙期に備えて、工場内の改造が進んでいた。

工場内の問題がある箇所を指摘して、使い勝手の良い様に直して貰っている。

多分、これで今年の冬はスムーズに作業が進むと思われる。

讃匠は冬のカタログ製作の準備もほぼ終わり、いよいよ忙しい冬の到来だ。
  
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2005年08月31日

来客

1b924003.jpg今日は朝からラーメンのお客様が2組来られた。

一組は企業で、一組は個人で開業のお客様だ。

以前は新規開業でトータルプロデユースのご相談はうどん店ばかりであったが、最近は徐々にラーメン店が始まった。

ラーメン店の場合はうどん店と異なり、セルフも無いし、麺とかスープに対するこだわり度も高い。

地域特性の差も大きいので、お手伝いも細かいところまで注意が必要だ。

特に個人の方は若い、活発な方で、既に先月のラーメン学校を卒業されている。

開業時期も近いので、再度9月のラーメン学校へのご参加も勧誘した。

以前は当社は単に製麺機の納品業者であったが、最近は店作りから開店指導までトータルでの要望が増えて来た。

それだけ、当社の責任が重くなって来るが、大変やりがいのある仕事だ。

私の時間も幾らあっても足りない様な状況になって来た。

その分、社内のスタッフに私の足りない、出来ないところを応援して貰っている。

明日からいよいよ9月だ。

今年は例年と比べて秋の到来が随分早い様に思う。

秋の展示会が始まり、全国行脚が再開する。

全国のお客様を尋ねて、私の旅が始まる。
  
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2005年08月30日

遠方よりの来客

a3a17ec0.jpg私の日常は出張の連続に明け暮れているので、いつも使っている机の周辺の整理整頓がなかなか出来ていない。

出張の度に資料が増えていくので、都度整理をしていないと膨大な資料が溜まってしまう。

今週はたまたま連続で営業本部に居るので、溜まった資料の整理をやっている。

しかし、昼間はお客様が来られたり、通常の仕事があるので、なかなか整理まで進まない。

今週中に整理整頓をしなければ、来週から当分出張が続く。

朝一番の打ち合わせをしていると、早速10時からのお客様が来られた。

こちらのお客様はリニューアルのお手伝いをしたお客様だ。

リニューアルをして2ヶ月が経過したところで、それまで提供していた商品をほぼ100%変えている。

新しい商品の提供に慣れて来て、安定した品質で提供出来ているそうだ。

今後は徐々にお客様の数を増やして、スピードに慣れていくことが大切だと伝えた。

こちらのお客様は余裕があるので、リニューアル後あせらずに品質を守る事を一番大切にやって頂いている。

往々にして品質を守るよりも目先の売上アップに走ることが多いが、それよりもまず安定した品質を常に提供出来る様になってから、お客様を増やすことを考えなければいけない。

午後4時近くまで色んな打合せを行った後、次のお客様だ。

今度のお客様は当社の会計事務所の先生で、大体毎月一度、私の経営に対する見聞を広める為に来て戴いて、私の気がつかない点を指摘して戴いている。

言わば、私の経営のブレインの一人だ。

どうしても社内のスタッフでは私の欠点を指摘し難いが、外部の先生なので、遠慮なく指摘して戴いている。

今日も耳に痛い言葉を沢山聞かされたが、私にとっては大切なことだ。
  
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2005年08月22日

営業本部にて

043b31eb.jpg明日早朝からソウルへ出張になるので、明日一杯で亀城庵研修を終えるお客様が奥様と一緒にご挨拶に来られた。

丁度亀城庵の一番忙しくて暑い時期に亀城庵研修を終えられたので、さぞ大変なことだっただろうと思う。

私が亀城庵を5年前に立ち上げてから1年間は亀城庵でずっとパートの女性達を指導しながら一緒にやっていた。

その頃は現在の状態と違い、冷房設備が充分でなくて夏の厨房の中はまさにサウナ状態であった。

毎日、何度もシャツに汗が乾いて潮を吹いた様な状態になっていた。

今になって思えば、あんなに暑い中でよくも頑張っていたものだと思う。

厨房は当然暑かったが、客席も暑かった。

お客様もよく辛抱してくれたものだ。

亀城庵は最初の設計が悪くて、換気が充分でなく、茹で釜の廃熱が充分に外へ出ずに中にこもり、更に、冷房設備の能力不足で蒸し風呂状態だった。

設計会社とか設備会社に何度も来て貰ったりしたが、彼らは設計ミスだと言うことをなかなか認めなかったが、最後には認めた。

しかし、追加設備費用がかなりかかった。

そして現在は以前とは比べ物にならない位に良い環境になった。

研修を終えたお客様から、亀城庵についての様々なご指摘を戴いた。

亀城庵は大和の研修の場として、うどん学校を終えた方に実地で体験して戴く場所として開放しているが、この5年間に実に様々なことがあった。

社内でも常に問題はあるが、亀城庵もそれ以上だ。

しかし、亀城庵は今まで研修の場としての意味が大きかったが、今後は一個のうどん店としてもっともっと切磋琢磨して行きたいと考えている。

徐々に改革の手を打っている。
  
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2005年08月21日

営業本部にて

2f01234d.jpg今朝は日曜日であるが、営業本部へ来客だ。

私は仕事の範囲が広いので、色んな人にお会いする。

今日も自分の専門分野とは全然異なる分野の方にお会いした。

分野が違うのでお聞きする話の内容は新鮮だ。

わくわくしながら、昼ごろまでお話を聞いた。

昼からも営業本部で仕事をしていると、お袋から用事を頼まれて買い物に行った。

自宅には次男と長女が一緒に同居しているのだが、買い物は何時も私に頼みたがる。

いつまで経っても子供扱いだ。

私も忙しい身ではあるが、今年80歳になる年老いたお袋の頼みは出来るだけ優先している。

今日は庭の木の枝を切る鋸と扇風機を買いに行った。

扇風機を買いに行き、支払いを済ませた後、店員が健康器具等を薦めて来た。

多分、私の年齢等を勘案して一番適当と思われるものを薦めたのだろう。

最近は物を買った後、この様に違う商品を薦められることがなかったので、なかなか新鮮な印象であった。

一生懸命に説明してくれたが、私が気が付かない新しい気付きを与えてくれた。
  
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2005年07月29日

亀城庵

78c2e5c7.jpg昨日に続いて今日も昼食は亀城庵にした。

今日は朝から社内会議で、昼過ぎまでかかったので、1時過ぎに行ったがほぼ満員状態であった。

最近は亀城庵では麺は完全に茹で立てにした。

一番最初は茹でてから30分以内に使う様にして、30分以上経ったのは店の表で玉売りをしていた。

ところが、30分では通用しないと思い、15分に短縮した。

それでも本当の美味しさは茹で立てだと思い、一切茹で置きは止めた。

亀城庵は駅の中の店だから、そこまでしなくても良いではないかと、社内では反対意見も多かったが、現在の時流から判断して一切茹で置きはしないようにした。

さぬきうどんブームは沈静化してきたが、ブームのお陰で沢山の方々がさぬきうどんの美味しさを理解した。

その為にどのうどんが美味しいか、不味いかを以前よりははるかに判る様になった。

これはラーメンブームの時と全く同じだ。

ラーメンブームの為に、ラーメンの良さを判る人が増えたのだ。

その結果、行列になる繁盛店はますます繁盛し、そうでない店は全然駄目になってしまった。

要するにブームは消費者をプロにしてしまうのだ。

これは考え様によっては恐ろしいことだ。

だから、最近超繁盛している当社のお客様はセルフサービス店でさえ、打ち立て、茹で立て、天ぷらは揚げ立てで勝負している。

やはり、今回のさぬきうどんブームでうどん業界は今後大きく進化しそうだ。

進化に取り残されると当然、生き残れなくなる。

今日も亀城庵のうどんは良く出来ていた。
  
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2005年07月28日

東京から帰社

2d128267.jpg昨日から箱崎シテイエアターミナルの近くのホテルで泊まっていたので、リムジンバスで羽田空港まで行った。

そして羽田から岡山空港まで帰り、瀬戸大橋経由で四国まで車で帰った。

さすがに四国は仙台とは気温が違った。

仙台での涼しい気温に慣れていると、やはり四国は暑かった。

丁度昼過ぎに着いたので、亀城庵で昼食を取ろうと寄ってみると、研修生の青島様が慣れた手つきでうどんを打っていた。

聞いてみると、研修も明日が最後だとのことだ。

やはり、研修も最後になって来るとうどん店内の仕事を全て理解しているので、顔つきも自信に溢れている。

この様に1ヶ月程度研修していただくと、全ての作業をほぼ出来る様になって来る。

素人の方にとってはやはり1ヶ月の実店舗での研修は絶対に必要だ。

今までも5日間のうどん学校への参加だけで、うどん店を開けると勘違いしている方もなかには居たが、最近は少なくなった。

当社の場合は5日間のうどん学校は、あくまでも自動車学校のコース走行までと強く説明している。

今日はその後、亀城庵のメニュー改訂用のメニュー写真を店が終わった8時以降で撮影した。

近々メニュー改訂の予定だ。

ほんの十数点しか撮影しなかったが、久し振りで以前の勘を取り戻すのに時間がかかった。

一生懸命夢中になって撮影していると、12時が回ってしまった。

ほぼうまく撮影出来たが、肝心のかき揚げがもう一つ満足出来る様な出来上がりにならなかったのが残念だ。

やはり、撮影はなかなか難しい。
  
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2005年07月21日

亀城庵にて

2bd7fbf2.jpg昨日に続いて今日も亀城庵に来た。

このところ、出張を控えて営業本部に居るのでたまたま来れた。

そこへ出張中のスタッフより、昨年開業した大阪の讃々が週刊ポストに取り上げられたとの情報が入って来た。

讃々も亀城庵で研修した生徒さんだ。

うどん学校を出られて、亀城庵で研修し、その人達が有名になれば嬉しいものだ。

当社の亀城庵で研修して週刊ポストに取り上げられたり、テレビ、雑誌に取り上げられた生徒さんは何人も居る。

メニューを見れば、亀城庵の名残が残っているので良く判る。

亀城庵が少しでも皆さんのお役に立てればこんなに嬉しいことはない。

今日は亀城庵の店長も含めて、今後の亀城庵の対策を講じた。

そして近々にメニュー改訂をする予定だ。

最高に美味しいのは当たり前で、美味しいだけではなく、きれいな盛付を目指したい。

そしてかき揚げを目玉商品にしたいと思っている。

讃匠では今年の夏はかき揚げを商品化した。

瀬戸の地海老と6種類の夏野菜を使ったかき揚げだ。

今日は大きなかき揚げに挑戦した。

こんなにデッカイのは食べられないだろうと思っていたが、案外食べられるものだ。

女性の松原君も大丈夫と言っていた。

近々にデッカイかき揚げが誕生するので、楽しみしておいて欲しい。

やはり、飲食店は家庭では食べられないものを食べに来る場所であるので、この様なものも必要かと思う。
  
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2005年07月19日

亀城庵

1aef353f.jpg今日は久し振りに亀城庵へ行ってみた。

最近亀城庵では殆ど毎日2組の新規開業予定者が研修をしている。

最初は慣れていないので、大切な仕事は出来ないが、慣れてくると、麺打ち、茹で、天ぷら、盛付の担当になる。

盛付まで行けるのはほぼ1ヶ月にならないとなかなか出来ない。

亀城庵の様に実店舗の場合は、全ての作業に正確さと速さが必要になって来る。

皆さんも自動車免許を取得した時を思い出して貰うと判り易い。

初めて、自動車学校で車の運転をした時は自分は果たしてこんなに大きな動く物体を自由に操れる様になるのだろうかと思ったはずだ。

当然、最初はなかなか車が自由にならない。

ハンドルを右へ切ったつもりでも左へ向いたりする。

最初はコースをおっかなびっくりで走り、次に路上運転になる。

路上を走る様になると、だいぶ慣れてくる。

そして試験に合格し、めでたく免許証が貰える。

免許証を貰ってから、何年も経つと、最初にあんなにまごまごしていたことも忘れてしまい、自動車が自分の手足の様に扱えるようになっている。

うどん店も全く自動車運転の習得と同じだ。

慣れがどうしても必要なのだ。

だから、当社では実店舗亀城庵で研修をやって戴いている。

亀城庵でキチンと研修を終えるとそれだけで、自信が付いている。

今日も生徒さん達の様子を見ていると、だいぶ慣れてきている。

亀城庵はこの様に常に新しい生徒さん達を迎えて、勉強をして貰っている。

慣れた頃には生徒さんは引き上げてしまうので、常に慣れない人達が研修中だ。

従って、店にとっては負担が非常に大きい。

しかし、これも生徒さん達の為だ。

久し振りのぶっかけうどんは美味しかった。
  
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2005年07月18日

創業の頃 10

54128362.JPGこうして創業の頃を思い出すと、色んなことが昨日のことの様に走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

美味しい麺作りの研究に、私が元エンジニアだったことがどれほど役立ったか判らない。

学生時代は決してまじめな学生ではなかったが、不思議と今の仕事に役立つ様なことだけは忘れずによく覚えていた。

特に美味しいうどんの製法に役立ったのが、金属工学とか材料力学であった。

学生時代は将来違った分野で役立つだろうとは、当然夢にも思っていなかった。

学生時代ではないが、もう一つ今の仕事に役立っている重要なことがある。

それは川崎重工の航空機時代に叩き込まれた。

戦後、航空機の設計ノウハウは全てアメリカから導入された。

その中で根幹をなす重要な思想が設計思想(デザインフィロゾフィー)だ。

飛行機を開発する時にはまず、設計思想を固めてから全てが始まるということだ。

説明するのは容易ではないが、全体構想の中のエッセンス部分で、一番重要な核となる部分だ。

例えば、うどん店を例に取れば、セルフをやるか、フルサービスをやるかによって、立地も違う、店作りも違う、商品レベルも違って来る。

最初に何を選ぶかによってその他のことが全て決定付けられる。

この様に核となるコンセプトを明確にすれば、その他の決め事はほぼ自動的に全てが決まってくるのである。

従って、コンセプトを明確にすることが店舗作りで一番重要なのだ。

私はたまたま航空機時代にこれを叩き込まれていて、妙に頭の中にこれが何十年も残っていて、うどん店作りをする場合もこれが一番重要ではないかと仮説を立ててみた。

すると、大成功している飲食ビジネスをやっている会社はコンセプトを固めるのはいの一番にやっていることが判った。

この様に分野違いから見ている私であるが、その方がこの業界のことを正確に見る事が出来ることが良く判った。

今後ももっともっと麺専門店の繁盛の非常識に深く深く迫って行きたいと思う。
  
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2005年07月17日

創業の頃 9

1976ae25.JPG美味しい麺作りにとって非常に重要なことは、熟成の大切さと併せて、麺生地の組織を破壊しないことである。

私は学生時代に機械工学が専門だったお陰で、この原理が非常に簡単に飲み込めた。

金属にしろ、食品にしろある一定以上の力を組織に加えると組織細胞は破壊する。

例えば、刀を鍛える状態を想像しよう。

熱く熱した刀の金属を槌で叩いて鍛える訳だが、熱して柔らかくなった状態から鍛えていく段階で段々硬くなっていく。

そしてある一定以上硬くなって来ると、それ以上鍛えられない状態になる。

これは外部から刀の金属に外力を加えて行くと、金属内に内部応力(インナーストレス)が発生して金属を硬くしてしまう為である。

内部応力が発生して、それ以上鍛えられない状態なのに無理をして鍛えると、内部応力の限界を超えて組織が破壊し、刀が割れてしまう。

この様に物体に外部から力を加えると内部には必ず内部応力が発生する。

この内部応力が耐えることの出来る限界内であれば問題無いが限界を超えると組織を破壊するのである。

そして発生した内部応力を緩和するのが麺で言えば、熟成である。

これを判りやすく人間に例えてみる。

我々毎日一生懸命に働いている。

一日働いたら疲れる。

この疲れた状態が、身体の中に内部応力が発生した状態と言える。

毎日、疲れた体を睡眠を取ることで回復して元気になれる。

この睡眠を取り、回復する工程が熟成と言える。

もし、睡眠を取らずに連続して働くと過労死になったりする。

要するに熟成を充分取らない麺の製法は麺生地が過労死しているのだ。

だから、コツンと硬いだけの粘りの足りない麺になり易い。

但し、鍛え工程で充分鍛えてそれから熟成することが重要だ。

鍛えの足りない麺は人間で言えば、もやしっ子の様なもので、これも決して美味しい麺にはならない。
  
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2005年07月16日

創業の頃 8 美味しい麺作りの原理原則の発見

f7c0b354.JPG私の性格は何かに夢中になれば、徹底してとことん極める方だ。

従って、機械メーカーではあるが、研究所が持つ様な麺関連の測定機器は殆ど持っている。

判らないことがあると、判らないまま残しておくことが好きではないのだ。

その為に無駄な投資も沢山した。

しかし、その為にいろんなことが判った。

色んな人と知り合った。

私の好奇心はますます盛んになろうとしている。

今も色んなことに対する好奇心で一杯だ。

麺に携わって以来、どうすればもっともっと美味しい麺が出来るかということも常に私の中では大きな検討課題だ。

讃匠の麺工場を作って以来、更にそれが大きな課題となった。

麺作りを始めて判ったのが、美味しくない麺はどうすれば出来てしまうのかということであった。

例えば、コツンとして硬いだけのうどんだとか、団子のような食感でもろいうどんはどうすれば出来るのだろうかと。

この様な不味いうどんを現に作っている店主は多い訳だが、殆どの人は昔からの製法だとか、機械メーカーから教えられた製法でやっている。

実は私も最初は昔からの製法通りにやっていた。

しかし、なかなか硬いだけではなく、もろくなく、粘り強い、美味しいうどんが出来なかった。

最初は機械製法だから仕方がないのかと思っていた。

しかし、ある時、ミキシング後にすぐにプレスで麺生地を鍛えずに、そのまましばらく放置して麺作りを行うと、透明感があり、柔らかくて粘り強い、理想的なうどんが出来た。

それまでの讃岐うどんの製法では熟成という概念が無かったので、なかなか思いつかなかった。

しかし、この熟成の大切さの発見がその後の当社の麺の製法ノウハウの進化に大きく寄与した。
  
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2005年07月14日

創業の頃 6 讃匠の誕生

6e23d408.jpgこの様にして製麺機から始まった当社の事業はとうとう、麺の製造販売を始める様になった。

普通、製麺機を製造販売していると、麺の製造販売などは余りやらないものだが、私は他人とは少し考えが違い、美味しい麺を作る為の製麺機を深く研究しようとすると、麺の研究が避けられなかった。

そして自分で実際に麺を作ってみないと麺のことは判らないと思った。

やはりやってみて、その価値が非常によく判った。

もし、今から二十数年前に製麺工場を作らなければ、現在の当社は無かったかも知れない。

当社の麺に関する深いノウハウは当然出来上がっていない。

自分の手で粉を練って、自分で実際に麺を作ってみて麺のことが始めて判る。

作るだけではなく、売ってみてお客様の反応を見ると、更に色んなことが判る。

麺工場はその後、会社組織となり、讃匠となった。

讃匠の創業は家内ので出里である、丸亀城の堀端であった。

そこから、屋号を亀城庵と命名した。

讃匠を創業したのは私と家内の母親の2人で始めた。

この母親には実の親以上に迷惑も掛けたし、世話にもなって来た。

今日、こうして曲りなりにもやれているのは母親の力が大きい。

私はこの世の中で沢山の人達に支えられて、助けられて来た。

数え切れない位の人にお世話になって来た。

この母親は既に85歳を超えているが、讃匠の会長として現役で活躍してくれている。

讃匠では現在、毎日3万食の麺を作り、殆どを通信販売で販売している。

創業の頃から考えると夢のようだ。

今は麺専門店繁盛の成功方程式作りで日々、格闘しているが、これも人生の貴重なプロセスの一部だ。
  
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2005年07月13日

創業の頃 5

f94362bd.jpgそば専用製麺機、坂東太郎とか手打ち一番シリーズはこうして完成した。

そして関東営業所を構えて、本格的に関東での営業活動を開始した。

しかし、最初はなかなか人材が定着せずに現在の様に安定した状態になるまでにかなりの時間がかかった。

ここまでで、うどん、そば、ラーメン用製麺機が全部出揃い、その後、手打ちうどんを完全自動化したいというお客様が現れ、自動機の開発に取り掛かった。

私は最初にロールカッター部分から始めた。

ロール部分は麺棒圧延と同じ様に麺生地を縦横に90度づつ回転させながら、機械の中で自動的に圧延し、徐々に薄くしながら、更に90度づつ回転させながら、最後に所定の厚さになった麺生地の表面と裏面に打ち粉を施し、包丁でカットするという、手打ちを完全に自動化した製麺機を考案した。

当然、業界では始めてのことであった。

当社はこの自動機械を販売する為に、丸亀に麺工場を作り、麺の製造販売を始めた。

当社が関連会社讃匠を作ったきっかけは、大型の自動機を開発したことが始まりになっている。

今では大型自動機でも大きい物では、時間当たり6千食位までは出来ている。

一昨年、JR四国の関連会社、めりけんや様に導入して戴いたのが6千食の完全自動機だ。

この機械を見ると、まるで製麺ロボットを見ているようだ。

3連の自動カッターから麺線が流れ出て、それが自動竿掛け機で竿に掛けられ、コンベアーに流れている様子は感動する。

私は元々エンジニアであるので、この様な自動ラインは本当に見てると、感動してしまうのだ。

当社の場合は自慢出来るのは麺のノウハウとか、繁盛ノウハウも勿論だが、元々ハードのメーカーなので、開発と製造、メンテナンスが素晴らしいと思う。

現在は製造の責任者は多田羅次長、開発は川崎部長、メンテナンスは宮崎課長だ。

彼らが当社のハードの部分をシッカリ支えてくれている。

特に機械作りでは絶対に妥協しない強い味方だ。
  
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2005年07月12日

創業の頃 4

b240015a.jpg当社も最初は規模が小さく、ほんの数名でやっていたので、販売担当者は最初私一人であった。

九州での販売店回りから始めて、営業員を採用し、九州市場を徐々に固めて行った。

次に取り組んだのが、関西地区、その後、関東地区と東へ東へ攻め上って行った。

最初関東営業所を作る前に、営業車を持ち込み、香川県がやっていた讃岐会館でいつも車を置かして貰って、毎週香川と東京を往復した。

丁度、讃岐会館が東京タワーの近くであったので、車で出るといつも東京タワーを目印にしてホテルへ帰っていたもんだ。

毎日ホテルから出て、群馬へ行ったり、遠くは仙台とか東北まで行った。

仙台から上に行くと、北海道のラジオ放送が入って来て、俺はいよいよ日本全国を又にかけて商売をしているのだと感無量になったりした。

あと数年経ったら、外国で同じ様にやろうと思ったものだ。

そうすると、実際、その後数年で韓国とか、台湾を車で走り回り、約十年後には北米大陸を車で走り回っていた。

やはり、思えば実現するものだ。

しかし、関東で営業を始めると厄介な問題が起きた。

うどんの機械では駄目だというのだ。

関東は蕎麦の本場であるので、二八そばが打てるそば用の機械が必要だと言うのだ。

そこで、当社の開発陣を総動員して、また、群馬からそば職人に当社まで何度も来て貰い、開発陣の前で実際にそば打ちを披露して貰った。

そして現在の坂東太郎或いは手打ち一番シリーズの原型を作り上げた。

これらの機械は二八そばが楽に打てる様に、四つ出しの後での本延ばしで麺生地が薄くなっても破れない様に、手で麺生地を持たなくても良い様にしてある。

当社独自の考案の麺棒巻き取り装置を装着してある。

これで関東地区でも二八そばが楽に出来る様になり、それなりにこれらの機械は売れ始めた。

しかし、最近、当社の蕎麦部長、嶋本課長のお陰でこの機械と蕎麦用ミキサー、舞姫との連携作業で十割蕎麦が楽々打てることを発見した。
  
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2005年07月11日

創業の頃 3

b9370881.jpgこうして開発した真打が実際に売れる様になるにはかなりの紆余曲折があった。

それまでの製麺機はミキサー、足踏み或いは鍛え装置、圧延機、カッター機とそれぞれの機能が別々の機械に分離していた。

その為に大きなスペースを必要とした。

そこで私は全ての機能をコンパクトにまとめた機械を業界で最初に作り上げた。

すると、最初はうどん店の店主の皆さんにこれは製麺機ではないと言われた。

当然、今までの製麺機の様な形をしていなかったので無理も無かった。

ところが、コンパクトで便利なので、段々支持者が出て徐々にうどん店に浸透して行き始めた。

すると何時しか、ライバルメーカーの製麺機の形が殆ど同じ形になってしまった。

当社はこの製麺機業界では最後発での参入であったのと、私が全く異業界出身であったので、特にライバル会社の真似をしまいと誓った。

従って、当社のメカニズムは独創的なメカニズムなのだ。

私は美味しい麺が作れるのも当然であるが、きれいな機械を作りたかったので、ステンレスの精密板金が可能な、その頃大変高価だったアマダ製の板金ラインを揃えた。

そのお陰で機械のカバー関係は全て折り曲げ構造のステンレスのきれいな板金仕上げになった。

従って、今も当社の機械は全て精密板金で仕上がっているので、どの部品も同じ精度で仕上がっているので、後から違う部品を持って来ても簡単に交換できる。

こうして苦労して作り上げた真打の販売は九州地区から始めた。

ところが、九州はラーメン処であったので、うどん用製麺機の真打だけではラーメンの需要を賄えなかったので、ラーメン専用機リッチメンを作り上げた。

ところで、今日は総務の橋本さんが爽やかな髪型になっていたので、記念撮影した。

九州の続きは明日だ。
  
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2005年07月10日

創業の頃 2

bac95894.jpg創業の頃の失敗は数限り無い。

私は川崎重工という大企業で、硬いエンジニアしかやったことがなく、営業などは全く経験が無かった。

人様に頭を下げることなんかも自然には出来なかった。

商売人として商売をやったことが無かったのだから無理も無い。

最初は総合設計サービスという機械設計から始まり何でも屋的な設計事務所を開いたのが始まりだ。

これも仕事の目処が立っていたので、やったのではなかった。

今までの体験の中で自分が一番出来そうな仕事がこれだったのだ。

すると、仕事を探すことから始めなければならなかった。

仕事が出そうな鉄工所とか、その頃盛んだった汚水処理のプラント開発の仕事、近くの食品製造会社のでの自動化ライン、片っ端から仕事になりそうな処へ仕事を貰いに行った。

しかし、この営業も慣れるまでは散々で最初は私が黒いカバンを提げて営業に行くと、誰も営業に来たとは思ってくれず、学校の先生だとか、弁護士が来たとしか思われなかったようだ。

そして地元が讃岐うどんの本場であり、製麺所が沢山あったので、だんだんと麺関係の機械の仕事が多くなって来た。

丁度、地元でのトラッククレーン大手のタダノが新規事業でうどん店事業をやっていて、そのうどん店で使う、コンパクトであるが、本格的なさぬきうどんが作れる製麺機の開発依頼が当社に舞い込んだ。

そこで、私は今までの機械設計の知識を駆使してコンパクトな機械の開発に取り掛かった。

しかし、うどんについてはまだまだ判っていなかったので、麺棒で手打ちをしながら、更にその頃発売された松下電器の麺パン機という家庭用の製麺機を買って麺作りの研究を始めたのである。

タダノより依頼が来て、一号機が完成したのは数ヶ月後であった。

一号機は現在の真打より機械の高さがかなり大きかったが、ミキサー、プレス、ロール、カッターまで付いている当時としては画期的な機械であった。
  
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2005年07月09日

創業の頃

4cb2b299.jpg日々生きて生活をしていると様々なことを感じる。

私自身も今年は当社を創業して満三十周年に当る。

何度も言っている様に私は学校を卒業すると、川崎重工の岐阜工場、航空機事業部機体設計課へ配属された。

私は小さい頃より飛行機が好きだったのだ。

小学生時代は模型飛行機作りに明け暮れた。

川崎重工へ入ってみると、その頃も日本は殆どの飛行機はアメリカからのライセンス導入で自前での飛行機開発、製造はわずかしかなかった。

そのわずかな機種がYS−11とか航空自衛隊で使っているC−1輸送機だ。

私が入社した時には既にYS−11の最後の機体の組み立て中で、入社体験実習で工場内でそのYS−11の機体に自分でリベットを打った事を覚えている。

私がリベットを打った機体は今頃どうなっているだろうか。

その後、航空機事業部で私が担当したのはファントム戦闘機のライセンス導入だった。

これは結構面白かった。

しかし、段々と本格生産に近づいてくると殆ど図面の仕事が無くなって来た。

当初、航空機事業部に入社希望したのは私は設計がしたかったのだ。

そして丁度その頃、航空機事業部が景気が悪くなり、坂出の造船事業部がフル生産状態で地元が坂出と言う事もあり、転勤で坂出造船事業部の機装設計課へ配属された。

ここでは設計が出来た。

しかし、飛行機の設計と船の設計は全然違った。

最初はこの仕事も面白かったが、3年間やっているうちにこれは本当に自分がやりたい仕事では無いことが判り、6年間お世話になった川崎重工を退社した。

そして準備をして自分で機械設計の仕事を始めたのが30年前の10月24日だった。

仕事を始めてからの沢山の失敗談は明日話そう。
  
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